「ねぇ聞いた!?例の『さん』の話!」
「聞いた聞いた!一年は組の福富 しんべヱを軽々持ち上げたっていう、怪力『さん』!!」
「盗賊も一人でやっつけちゃったんでしょ?凄いわよねー!!」
「新しい剣術の先生になるって話、本当なのかしら?」
「くの一長屋で生活するみたいだけど、どこの部屋なのかなぁ?」
「もう会った娘も居るらしいわよ!何か凄く可愛くって優しそうな人なんだって!」
「「「「「えー私も早く会ってみたーい!!」」」」」



噂好きの少女達の会話は、まるで伝言ゲームのように次から次へと他に広がり。
それはくのたま長屋だけではなく、隣の忍たま長屋にもしっかり届いていた。






Chapter 07






「興味深い話を耳にしたぞ」



図書室で本の整理をしている最中。
ふと背後に人が立つ気配を感じて振り返った不破 雷蔵の眼に映ったのは、何やら楽しそうに口元をあげている友人、鉢屋 三郎の姿だった。
雷蔵は相変わらず自分の顔を使用している三郎に小さく苦笑し、本を棚に戻しながら『どんな話?』と尋ねる。
図書室に足を踏み入れた三郎は、作業中の雷蔵から少し離れたところで立ち止まると、腕組をして傍の壁に寄り掛かった。



「噂で聞いたのだが、学園に新しい剣術師範が来たらしい」
「へぇ?戸部先生の他に?」
「あぁ。それでその師範ってのが、何でも女だとか」
「え?」



ピタリと手を止めた雷蔵が、三郎を見る。
目を丸くしている雷蔵ににぃっと笑った三郎は、更に言葉を続けた。



「先程、学園長のお使いに出た一年は組の例の三人組が、帰宅途中、盗賊に絡まれたんだそうだ。
それを『さん』と言う人が助けてくれたとかで、盗賊を倒したその剣の腕が、なかなか素晴らしいものだったらしい。
その話を聞いた学園長が直々に、『是非生徒達に剣術を教えてほしい』と彼女に頼み込んだ、という話だ」
「じゃぁ、その『さん』が、新しい剣術師範?」
「そういうことだな」
「へぇ……」



三郎の言葉に頷きながらも、雷蔵はどこか釈然としていないような声を出した。
何やら呆けた様子の雷蔵に近付いた三郎は、『雷蔵』と彼の顔を覗き込んだ。



「何?」
「気にならないか?その『さん』がどんな女性なのか」
「そりゃぁ、気になるけど……」
「よし。ならば、これから一緒に見に行こう」
「えぇ!?」
「先程山本 シナ先生にくの一長屋の部屋に通されたと聞いた。今ならまだ居るかもしれない」



そう言う三郎の表情は妙にイキイキしていて、瞳の奥には好奇心の三文字がでかでかと浮かんでいる。
反して雷蔵は顔を真っ青にし、ブンブンと勢いよく首を横に振った。



「だ、駄目だよ三郎!くの一の敷地に無断で入った忍たまがどんな目にあってきたか、三郎だって知っているだろう!?」



くの一は基本男子禁制で、言わば女だけの秘密の園。
その何かを期待させる甘い響きに惹かれた男達は数多く、これまで何人もの忍たまがくの一の敷地内へと忍び込んだ。
が、その者達は皆、見るも無残な返り討ちを受けていた。
ある者は全治三ヶ月の血達磨の刑に処され、またある者は全裸で裏山の一本杉に吊るされた。
中には、余程の目にあったのか、その詳細を一切口にしないまま学園を去った者もいる。
くの一の脳内辞書に、『手加減』の文字は存在しない。
だからこそ怖いのだ。
見つかったら、どんな凄惨な仕打ちが待ち受けているかわかったものじゃない。

しかしそんな危険を冒そうとしているのに、三郎はそれが何だと言うように酷く冷静な態度で続けた。



「くの一の中庭には大きな松の木があるだろう。あそこに隠れれば見つからないさ」
「そ、そんなことしなくても、時期が来れば会えるんじゃ……」
「俺は、今、会いたいんだ」



わざわざ言葉を区切って強調する三郎に、雷蔵はただただ唖然とした。
普段他人に対して無関心の彼が、噂で聞いただけの『さん』に、まさかここまで興味を持つだなんて。
否、噂で聞いただけだから、逆に興味が湧くのだろう。
現に雷蔵自身も、『さん』がどんな人なのか知りたいと思っている。
盗賊を倒し、新しい学園の剣術師範になった女性。
どんな外見なのか、どんな性格なのか。
早くこの目で見て確かめてみたい、と言うのが本音だ。
けれど、その為にはくの一の敷地に侵入しなければならないのだ。
そう考えてしまうと、どうしても今一歩、足が踏み出せない。



「うぅぅ……行くべきか、行かざるべきか……」



頭を抱えて悩みだす雷蔵。
そんな友人の姿に、三郎はいつもの悪い癖が出たなと小さく息を逃がした。
それならばと、うんうん唸っている雷蔵の左手首を掴む。



「いいから行くぞ」
「えっちょっ三郎ぉ!!」



三郎に半ば強引に手を引かれた雷蔵は、流されるがまま図書室を飛び出した。



***



三年ろ組の教室。
暖かな午後の日差しを全身に浴びる窓際の席に座る富松 作兵衛は、ふぁっと本日何度目かの大きな欠伸をした。
午前中は朝からぶっ通しで実技学習。
散々体力を使った後に風呂に入り、美味しい昼食を沢山食べた後にやってくるのは、当然睡魔だ。
徐々に重くなってくる瞼をどうにか引き上げて、チラリと隣に視線を向けた。
そこに座る次屋 三之助は、すでに誘惑に負けてしまったらしく、コクリコクリと一人船を漕いでいる。
そんな友人の姿に少し安堵した作兵衛は、机の上に手を組んでそこに顔を埋めた。



(俺も、ちょっと寝よう……)



教科担当の先生が来るまで、あともう少し時間がある。
授業中に寝て怒られない為にもと、ゆっくりその目を閉じた。
が、次の瞬間。



「作兵衛ぇぇ!!三之助ぇぇ!!」



突如、バァンと大きな音をたてて教室の扉が開かれる。
名前を呼ばれた作兵衛と三之助はビクッと体を震わせ目を開けると、驚いた様子で何事かとそちらを凝視した。
二人の視線を受けた神崎 左門は、ドタドタと騒がしくこちらへとやってくる。
そして目を丸くしている作兵衛と三之助の前まで来ると、その顔いっぱいに満面の笑みを浮かべ、机を勢いよく叩いた。



「知ってるか!?新しい剣術の先生が来たんだって!!」
「あ、新しい剣術の先生……?」
「そう!しかも女だって話だ!!」
「お、女……?」



いきなり現実に戻された所為で、まだ脳がうまく起動しない作兵衛と三之助。
しかしそんな二人に構うことなく、左門は言葉を続けた。



「なんかすげぇ力持ちで、すげぇ強くって、すげぇ可愛いんだって!」
「左門……お前それ、本当の話かよ」
「本当だ!学園中の噂だぞ!!」
「噂って、発信元は誰なんだ?」
「知らん!!」
「……名前は?出身は?年齢は?」
「知らん!!」
「知らんてお前……」



興奮気味に語る左門とは裏腹に、ようやく意識がはっきりしたらしい作兵衛が、はぁっと呆れたような溜息を吐いた。
三之助は眉を八の字にして、何とも言えない様子で左門を見ている。
そんな二人を見、思いの外反応が薄いことに気付いた左門は、不満そうに頬を膨らませた。



「何だよ何だよ、作兵衛も三之助も!!もっと驚けよ、反応しろよ!!」
「そ、そんなこと言われても……女の剣術師範とか、いまいち信じらんないって言うか……なぁ」
「そうそう。第一に情報が少なすぎだし、ただの噂話じゃねぇの?」



顔を見合せて互いに頷き合う作兵衛と三之助に、左門の眉間の皺が濃くなる。
そして、バンッと再び机を叩くと、呆然とする二人を睨みつけた。



「もういい!そんなこと言うなら、俺一人で会ってくるっ!!」
「「は?」」
「新しい先生!どんな人なのか、見に行ってくるー!!」
「あっおい左門!待てって……っ!!」



作兵衛の止める声も聞かず、一目散に教室を飛び出していく左門。
左門が一人で行動すると碌なことが起こらないことを知っている二人は、やばい!と慌てて席を立つ。



「ったくあんの馬鹿!連れ戻しに行くぞ三之助!!」
「あ、あぁ!」



つい先程までの眠気はどこへやら。
バタバタと騒がしい足音を響かせながら、作兵衛と三之助は左門の後を追った。



***



食堂のおばちゃんの手伝いを終えたきり丸としんべヱは、乱太郎とおちあう為には組の教室へと向かっていた。
話のネタは、勿論のこと。
彼女を学園長室へ行かせた後のことを、二人はとても気になっていた。



「ねぇ、きり丸。さん、あれからどうなったかなぁ?大丈夫かなぁ?」
「うーん、一応大丈夫だと思うけど、学園長が何考えてるかさっぱりわかんないからなぁ……」
「そうだよねぇ……心配だねぇ……」



不安げに俯くしんべヱを見、正直同じくらい心中穏やかでないきり丸だったが、それを表情に出さずにポンとしんべヱの肩を叩く。



「まぁ先生達も鬼じゃないし、怪我してるさんを今すぐ追い出すような真似はしないだろ。多分もう話も済んで、保健室に戻ってるんじゃないかな?」
「あっそっか!新野先生、話が終わったらまた来るようにって言ってたもんね!」
「あぁ。きっと乱太郎も気になってるだろうし、早く3人で保健室行こうぜ!」
「うん!そうしよーそうしよー!」



笑顔が戻ったしんべヱに安堵したきり丸は、『よし、行くぞ!』と階段を駆け上がった。
それにしんべヱが一生懸命ついていく。
バタバタと足音を響かせて教室までたどり着いた二人は扉を大きく開いた。
すると。



「うわっ!ら、乱太郎!?」
「お、お前ら!な、何してんだぁ!?」



扉を開けた瞬間、目の前に飛び込んできたものに、思わず声を上げるきり丸としんべヱ。
彼らの視界の先には、教壇の前で倒れている乱太郎と、そんな彼を囲むようにワラワラと群れている学友達の姿だった。
きり丸としんべヱに気付いた乱太郎は、心底疲れ切った表情を浮かべて二人に手を伸ばした。



「きり丸〜しんべヱ〜助けてぇ〜」
「ど、どうしたんだよ乱太郎」
「み、みんな…さんの噂聞いたらしくって、どんな人なのか教えろって言うんだぁ……」
「それで乱太郎、こんなにもみくしゃにされちゃったの?」
「うん……」



どうやら相当な質問攻めにあったのだろう。
ちょっと見ない間にすっかり衰弱してしまった乱太郎に同情していると、ずいっと頭の上に影が出来た。
ハッと揃って顔をあげたきり丸としんべヱを見つめているのは、好奇心に満ちた複数の瞳。
ズイズイと追い詰めるように近づいてくる学友達に、二人は恐怖に似た感情を覚えた。



「きり丸としんべヱも、 さんのこと知ってるんだろ?」
「え、いや、あ……」
「なぁなぁ、さんてどんな人?」
「え、えぇっとねぇ…あのねぇ…」
「しんべヱのことを木から抱え降ろしたって本当?」
「ちょ、ちょっとま……」
「盗賊とも戦ったって聞いたけど、そんなに強いの?」
「ここら辺の人間じゃないんだって?どこから来たの?」
「何か持ってるものがすごく変わってるって」
「歳はいくつぐらいなの?」
「綺麗?可愛い?」
「ナメクジは好き?」



答える間も与えられず、次から次に投げつけられる質問。
あちらこちらから問いかけられ、やがてそれに耐えられなくなったきり丸が『あーもう!!』と苛立ちの声を上げる。



「わかったわかった!!そんなに気になるなら、全員で会いに行こうぜ!!」



***




「新しい剣術師範。まぁその名の通り、女、だな」



淡々とした口調で紡がれたその言葉に、潮江 文次郎は己の感情を誤魔化すことなく思いきり眉を顰めた。
剣を含んだ表情で、目の前の相手を強く睨みつける。



「……その話、確かなのか?仙蔵」
「あぁ、ちゃんと裏も取った。間違いない」
「……チッ……学園長は一体何を考えているんだ」



忌々しそうに舌打ちをした文次郎が、ドンと背中の壁に凭れかかる。
腕組をし何やら考え込んでいる文次郎を見、立花 仙蔵は予想通りの反応だと静かに口端をあげた。



「文次郎」
「…何だ」
「勝負しないか?」
「勝負?」



顔をあげた文次郎が訝しげに仙蔵を見る。
仙蔵は一歩文次郎との間を詰め腕組をすると、フッと得意げに笑ってみせた。



「お前と私、どちらが先に を倒せるか」



思いもよらない仙蔵の言葉に、思わず目を丸くする文次郎。
しかし仙蔵の表情は変わらない。



「倒すってお前……相手は女……」
「女だろうがなんだろうが関係ない。私は自分よりも弱い人間に剣術を教わる気はないからな」



『お前だってそうだろう?』と言いたげな視線をよこす仙蔵に、文次郎は何か言いかけて、口を噤んだ。
険しい表情を更に歪め、仙蔵から視線を外す。

確かに、仙蔵の言うことはわかる。
というか、自分が考えていることそのままだ。
この忍術学園は入学した誰もが、無事に卒業までの六年間を過ごせるわけではない。
幾多もの辛く苦しい試練を自らの手で乗り越え、それを糧に出来る人間だけがここで生きる残ることが出来るのだ。
忍者の世界はけして甘くない。
事実、文次郎もこれまで何度となく学園を去ろう考えたことがある。
けれどそんな彼を支えてくれたのは、忍者の先輩である教師達だった。
彼らの厳しくも優しい指導があったからこそ、自分達は今こうして学園の最高学年で居られるのだ。
それ故に感謝しているし、尊敬もしている。
自分達が師と仰ぐのは、自分達をここまで育ててくれた先生方のみ。
それは学園を卒業しても、ずっと変わらないと思っていた。
それなのに、何故今更。



(今更、何の教えを請う必要がある)



例え自分達に欠落している剣術であるとしても。否、剣術であるからこそ。
いきなり現れた、どこのものかもわからない奴に教わらなければならないなんて。
しかもそれが、女だなんて。
認めない。認めたくない。
そんなこと、このプライドが許さない。



(しかしだからと言って、女相手に手をあげるのも正直気が進まん……)



ふぅっと小さな溜め息を吐き考え込む文次郎を、仙蔵が静かに見つめている。
と、その時。



「私も混ざるぞー!!」
「なっ!?」
「こっ小平太!!」



一体どこから湧いてきたのか、文次郎と仙蔵のすぐ傍には『はい!』と右手を挙げている笑顔の七松 小平太と、相変わらずの無表情でこちらを見ている中在家 長次がいた。
突然現れた彼らに内心驚きつつも、仙蔵はそれを誤魔化すようにコホンと咳をして、小平太を見た。



「そうか。小平太も勝負に乗るか」
「あぁ!私も噂の がどれほど強いのか興味がある!!」



瞳を輝かせ、フンッと気合を入れる仕草を見せる小平太に、仙蔵は満足げに微笑むとチラリと文次郎に視線を送る。
それに一瞬ビクリと体を揺らした文次郎は、ややしてでかい溜め息を吐くと、半ば自棄気味に口を開いた。



「えぇい、わかった!その勝負、俺も乗ってやる!!」
「ふっ……まぁ、当然だな。私の誘いを断るなんて許されるわけがない」
「仙蔵……何でお前そんな偉そうなんだ?」
「長次はどうする?」



文次郎の言葉を綺麗に無視した仙蔵が、長次に声をかける。
長次はゆっくりした動作で仙蔵に顔を向け、それからフルフルと首を横に振った。



「…………俺は、いい」
「えぇー何でだよー!長次もやろうぜー!」
「やりたくねぇって言ってんだ。無理に誘うな」



長次が参加しないことに小平太が不満そうな声を出す。
しかし文次郎に窘められ『ちぇっ!』と近くの小石を蹴り、それ以上は何も言わなかった。



「まぁいいさ!とにかく、この勝負に勝つのは私だ!!」
「随分と強気じゃねぇか。俺もやるからには手加減しないからな」
「悪いが、私も本気でいかせてもらうぞ」



文次郎、仙蔵、小平太。
互いに視線を交わし合い、口元には不敵な笑みを浮かべる。



「それでは、始めるか」
「あぁ、いつでもいいぜ」
「そんじゃぁ、よーい……はじめ!!」



小平太の合図と共に、三人が散っていく。
彼らの姿を見送りながら、長次は一人興味なさげに裏庭へと歩を進めた。



果たして、一番最初にの元へ辿りつけるのは、一体誰なのだろうか。



                                                                                                                                                                                                 08...